これまた10年ぐらい前の事であるが、ある日の早朝、自宅で衝撃的な報告を受けた。「社員が今朝、車両で通行人を死亡させた!」と言うとんでもない事故が起きてしまったものだ。業種柄、当社は車両を大量に使用するため、常々安全運転について説き車両事故「0」を目指していたが、実際は毎日の業務遂行上の接触事故などが何回か発生してしまう。但、長い人生で社員が人を轢き殺すと言うのは初めてだ・・しかも某国でよ!

 本部から少し離れた営業所での出来事であったが、早速所長とともに現場に向かった。当社の車は、立体交差の出口から下りのスロープを降りる過程で、横断歩道中の3輪バイクと衝突。相手は、フロントガラスに強く頭をぶつけて即死状態だったらしい。道には、黒い血のりがべったりと残っていた。緩やかな下りのスロープで道幅は片側2車線の広い道だ、視界は極めて良好である。朝は快晴でガスも出ていない。ブレーキをかけた跡が無いので社員はぶつかるまで気が付かなかったようである。

 現場を見て不思議に思った「こんな視界の良い道で、横断中の3輪バイクが見えなかった?しかも片側2車線道路だぞ、誰かが道を渡って車の視界に入ってからブレーキを踏んでも、充分時間的に間に合うだろう」 所長(某国人)「社員は、居眠りはしていなかったようです。このスロープを加速して降りて来てます」。私「居眠りか、よそ見以外考えられないがなぁ・・」 警察側が入手したこの横断歩道近くのカメラ映像があるとの事で見せてもらったが、当社の車凄いスピードで3輪バイクにぶつかっている。3輪側も左右を見ず車も意識せず横断しているようだった。当の社員は、首都のはずれの農家の出身で入社3か月ぐらいの新人らしい。自分が何をしでかしたかの認識も薄く全く反省している様子ではないそうだ。

 被害者には、妻と小さな子供が一人いるそうだ・・・奥さんも可哀そうに・・最初はそう思った。地方から出てきた農民工らしいが、某国首都で牛乳配達を営んでいて被害にあったようだ。奥さんは警察に来ており、亡くなった被害者の家族も急遽地方から続々上京してきているとの事で、会社では緊急対策本部を設置して本部や弁護士と連絡を取りながら、早期収拾に向けて動き出した。私は直ぐに現場に出っ張り、事態に対応をしたいタイプであるが、こんな時某国でそれをしたら墓穴を掘ることになる。外人は一切表に出ないでコントロールするというのが鉄則なのだ。それは某国人同士であれば、冷静に話で進めることができるが、外国人が入ればそうでなくなるからだ。

 3日目には奥さんの知り合いと言う人から、損害賠償金の要求金額とその根拠が紙に走り書きされて到着した。約80万元(約1200万円)と書かれている。当時 農民工が事故等で死亡した時は、23万元(350万円)位が補償金の相場であった。地方によっては、バス事故で多数が死亡した場合、一人当たり数千元支払われて終わりという事も多い。そのため車両にかける対人賠償保険も30万元を限度額に掛けるのが普通で、それ以上は掛けられないか、また保険会社が特別承認しないと掛けられない事もあった。我が社も30万の標準的な保険に加入していたのだ、それが80万元・・・最初は、“某国流吹っかけ”かなと思ったが、専門の弁護士に聞いたら「農民工といえど都市部で数年暮らして定職についていれば都市戸籍と同じ補償額となる。」そうである。要求金額は、これに照らせば間違ってはいない。そもそも同じ人間なのに農民と都会人で命に3倍以上の値段の差があること自体変ではあるが・・これが某国の現実だ。

 補償額を確定する迄の間かなり時間も掛かり、「遺体を会社に持っていく」などと騒がれたりもしたが、正当な金額なら保険金が不足しても相手の要求にできるだけ沿って補償してあげなければいけない。早速その方向で折衝に入らせた。被害者や公安との調整や補償金の調達等で1週間ほど毎日数人の幹部だけで対策協議を重ね、いよいよ補償金を払込む時点で遺族側に異変が起きた。80万元もの大金が入るということで、結束が固かった遺族間に亀裂が生じたようだ。何せ80万元は、当時の某国、特に農村ではとんでもない大金である。今まで悲しみで寝込んでいたという奥さんが急にベットから起きだし 夫の家族との間で補償金の取り分を巡って争いが起きているようなのである。大分揉めた様であるが、我々は関知できない範疇の事である。23日後分割の話が纏まったようだが、奥さんは遺体の引き取りを拒否し、遺体は夫の家族と共に田舎へ帰って行った。事故発生から10日以上に及ぶ緊張の日々は漸く終了したのだ。

 さて 日本なら人を事故で死亡させれば、まず過失致死罪が適応となるが、こちらは被害者への賠償がうまく決着すれば加害者側にはお咎めなしである。・・・なんじゃそりゃ!

 逆に運転者側に過失がないことを遺族側に了解させる代わりに 被害者からの要求額に当社が応じるよう警察からアドバイスがあった。過失を認めると会社の車両がすべて運行禁止となる処罰が待っていると脅しもかかってきた。警察は、歩行者にも責任があることにして 運転者側の一方的な加害事故にはしたくない様子がありありだった。当該派出所の交通課に過失による死亡事故記録を残したくないのだ。当社にとっては、保険でカバーできない補償額の支払いは大きな負担であったが、運行停止処分を受けずに済んでのは助かった。営業停止になったら他の社員も路頭に迷うことになっただろう。

 その後会社は、100万元の補償額を取扱っている別の保険会社に切り替えた。都市部ではすでに30万元の補償額では足りないことが明白になって、各保険会社は対人賠償額を100万元に設定した保険サービスが開始された。この件でお世話になった警察官とも交流を深め、安全運転講習に定期的に講師で来て頂くようにした。

 釈然としなかったのは、事故を起こした社員に全く反省の色がなく平然としていた事。事件後直ぐ退職したが社会的には何らお咎めもなく、親父に連れられて実家に戻っただけである。一番馬鹿を見たのが、亡くなった被害者本人であろう。死んだら奥さんから遺体の引き取りさえ拒否され浮かばれない、補償金額しか皆関心がなかったのである。(2017年6月記)

ボクの某国論
其の二十九 命の値段とは・・の巻    
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